昨今、 医師の収入と謝礼が話題になることが多い。1999年以来の医療事故―過誤報道と裏腹にこの課題が論ぜられている。 行政もそろそろ医師の報酬が頭打ちではないかと指摘している。この話題に対しては以下の切り口で愚見を呈する。
1. 謝礼と医師の収入に対する社会評価の歴史
2. 消費者意識が高揚してきた現代での謝礼に対する認識
1.医師の収入については江戸時代に既に現代と似通った兆候が出ている。
当時、江戸幕府は宗教・ 寺院などには厳しい管理体制をひいていたが、庶民の医療政策などはなんら提示せずもっぱら「医は仁術」 というキャッチフレーズ的な宣伝が為され、その実践者を褒章したり、督励するのに用いていただけで、医師の資格をはじめ、 収入の規定などは放置していた。医師の報酬の主体は「患者の寸志としての薬礼・薬代」であった。 何時の時代にも暴利をむさぼろうという輩は絶えず、医師もまた例外ではなかったようである。 助けてやったのに薬礼が少ないと訴える医師も少なくなかったが、そういう場合の裁定に「医は仁術」は便利な言葉でもあった。 徳川時代から明治にかけての名医として名高い浅田宗伯はその家規に「薬価を問うものは拒絶すべし 夫(ソレ)医は仁術を旨とす・・・ 但し病者診志料を以って謝儀を致すものは敢えて拒まず」と記している。
しかし、 一般的には幕府の規制がなかったが故に、開業医師はひたすら増え、金銭欲を高め、遊楽、 華美を求めるものが後を絶たなかったと記されている。皆保険制度を無節操に飽食してきた現代に通じるものがある。ポルトガル宣教師、 ルイス フロイスは「日欧文化比較」で医師は「処方するのでなく自分の家から薬を届ける」、 「医師は試験を受けずに誰でも望むものはなりうる」と述べ、豊臣時代に既に徳川医師の原型があったことを示す。 ただ同時に見識のある優れた医師は積極的に“同僚批判”をおこなっていたことは現在にも見られないことで、 いまだ自律的な医師も少なくなかったのであろう。現在にも見られないグループ診療、同業組合的活動なども行われ、 仁術どころか積極的に収入確保を心がけていた。どうやら歴史的には「謝礼」は「仁術」と合わせて良質な医師の望むところであったが、 それゆえに“名医の疎誕譚(ソタンダン?世事に疎く気ままの意)”なる言葉も生まれている。 大学教授他の低報酬と地位への誇りはこの名残であろうか。
2.では現代はいかがか。
小生が大学院生時代、関経連の名士の教授往診に同行したことがあった。立派なお屋敷で、主人の居間で教授が診察し、小生は前室に控え、呼ばれて恐る恐る傍により診察介助を行ったものである。下がっていると袱紗に包まれた謝礼が小生に渡され、恭しく受け取ったが、当時で10万円以上あったと覚えている。もっとも、 教授は裕福な方で謝礼はもっぱら図書係りの小生に医学書、 雑誌購入用として渡された。まさにお抱え医師の伝統であった。以来、 ほとんど全ての医療機関では謝礼はいろんな形で継続され “無給医”の生活の糧でもあった。診療がシステム化されず、患者の重症化は主治医の泊まりこみケアーが常識であったのも謝礼の裏返しとも言える。医師が相対的に高給を取るようになり、一方、患者には消費者意識が生まれるとその解釈は変質し始め、
1) 謝礼不要説を唱える人
2) 相変わらず相対的に高額な謝礼を社会的地位から払う人
3) 気が進まないが、それでも不安で渡す人
など細かく分かれている。 おそらく総中流意識が徹底するとともに、みんながさらに豊かになると3)のタイプは1)に移行し、二分化されるのであろう。 医師も自由業からサラリーマン化しており、“患者へののめりこみ” 度が低下するとともに謝礼など当てにする風潮は減少していく傾向にある。
今以上に医療事故、 賠償などが幅を利かしてくると矜持を維持することより、防衛?萎縮?医療が常態化し、謝礼など要らないから早く“患者離れ” したいという医師が増える。
収入や謝礼という断片はそれなりに折り合いがつくのだろうが、それ以前に失うことの重大性を今、 医師自ら自省することが肝要と考えるが。
改めてアダムスミスの時代に医師に課せられた 「プロフェッショナル フリーダムと社会的地位」を思い起こす。医師がプライドを失い、 サラリーマン化することは避けられないのだろうか。
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