「親指姫」といえばアンデルセン童話の主人公。しかし今は親指を器用に動かし、携帯電話でメールを送る若い女の子のことをそう呼ぶようです。片時もケータイを離さない彼女たちの、あの小刻みな親指の動きにはただただ感心します。
テレビゲームと併せ、これほどまでに親指が活躍する時代は人類史上にないそうです。このままだと、親指が異様に発達した人類が登場するのではと妙な心配をする人もいます。
本を読むときも、勉強するときも傍らにはケ一夕イ。メールが入れば、即座に親指が動き始めます。本を開いて空想の世界に浸っていても、方程式を解いていても、着信音で現実の世界に引き戻される。活字離れや学力低下が起こるのも無理はないかと納得もしてしまいます。
教育再生会議が先ごろ、第一次報告を提出しました。文部科学省のホームページで議事録などを読んでいましたが、論議がかみ合わない場面もしばしば。会自体が空中分解するのではと大いに心配もしましたが、何のことはない、この国の教育を左右する報告は、わずか3カ月で完成。安倍普三首相は「100点満点の報告」と胸を張りました。
「社会総がかりで教育再生を」との考えは大いに共感するところです。しかし中身は、粗稚、強引な印象がぬぐい去れません。基礎学力向上に向けた授業時数の10%増も、何を根拠にしているのか分かりません。昔ならいざ知らず、授業時数を増やせば学力が上がるといったデータは見たことがありません。
2004年発表の経済協力開発機構の調査で」日本の高校1年生の読解力は8位から14位へと大きく順位を下げ、学力低下問題がクローズアップされました。しかし問題なのはその中身。生徒の読解力は全体的に落ちたのではなく、下位層の急激な拡大が順位を下げたという点です。そこには勉強する子としない子の二極分化があります。
学びから逃げ出す子の拡大をどうやって食い止めるのか。いい大学に進学し、いい会社に入れば幸せになれる・・・暗黙のうちに子どもを勉強机に向かわせていた“幸せの方程式”への信仰が弱まった今、すべきことは、量的拡大などではなく、どの子どもも持っている興味や意欲を刺激し、「学びのエンジン」を発動させる質を重視した教育のはずです。
アンデルセンの「親指姫」はヒキガエルに誘拐されたり、好きでもないモグラに求婚されるなど数奇な運命をたどります。
「ゆとり教育」の旗の下、教育内容を大幅削減したかと思えば、あっという間に方向転換し、今度は授業時数の10%増。猫の目のように方向が変わるこの国の姿は、親指姫の置かれた境遇にも似ています。
親指姫は最後は、ツバメに助けられ、花の国の王子と結婚しますが、現代の親指姫を救うツバメは、いつまでも中空をふらふらと舞うばかりです。
2007年2月11日
高知新聞 喫水線
親指姫と学力低下
学芸部長 石川浩之
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