ある産科医師のつぶやき

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帝王切開による死亡は殺人事件ではありません。
母親や赤ちゃんの安全と健康を望まない医師などいるでしょうか。手を尽くしたけれど救命できなかっただけです。
妊婦が前置胎盤、そして癒着胎盤という病気を持っていたのは医師のせいではありません。

赤ちゃんやお母さんを不幸にして助けられなかった場合、我々医師だって平然となんてしていられません。
後でみんなで何度もシュミレートし直して、何度も話合います。本当に助けられなかったか。

でも、後から思い返しても、どんなに手を尽くしても助けられないこともあります。私達は決して開き直るわけじゃない。助けたかったという遺憾と助けられなかったという無力感から立ち直るには時間がかかりますし、常に目の前の症例に対してベストを尽くしたいという気持ちはみんな持っています。

ただ、所詮は神の領域には手が届かないのです。

この大野事件の家族は、もしこれが癌の手術で死亡したのだったらここまで医師を恨んだでしょうか。
きっとそうではないと思います。

癌のような病気であれば家族も覚悟して臨んだはずです。
帝王切開ではそこまでの覚悟は無かったのではないでしょうか。

先人達の努力により、日本でのお産は世界で一番安全なものになりました。
妊婦たちも安全であることが前提として認識し、ご飯が美味しい産院や、部屋のリネンが高級ブランドである産院などに人気が集まります。

でも、今でも毎年約50人の妊婦がお産で亡くなっています。
これはゼロには出来ません。

だから、不幸な結果になってしまっても、「ちゃんとした医療が受けられなかったから」ではなく「本来お産は危険なもので、医療には限界があるから」なのです。(もちろん、水準以下の医療がゼロとは言いません。私達も日々邁進する次第です。)

妊娠出産が当たり前という認識が広まり、何かあったら医療ミスじゃないかという考えが、医療現場を萎縮させ、産科医不足を招き、結局は国民みんなにとって困った事態になっています。

1人でも多くの赤ちゃんやお母さんを助けたい、私達の目標は変わりません。だから、これ以上医療が崩壊して、産科や新生児科を志したものたちが辞めたくなったり辞めざるを得なくなったりするような事態になって欲しくないのです。

妊娠出産は本来危険を伴うものです。命に関わるものからそうでないものまで、沢山のリスクや煩わしいことが有り得るのです。
だからみなさんも覚悟して妊娠出産に望んでほしい。そして、何かあったときは自分の体に起こっていることを理解し、責任をもって自己決定する能力を持って欲しい。
それが一人ひとりに出来ることだと思います。


http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2006/03/311_4a15.html Link

http://tyama7.blog.ocn.ne.jp/obgyn/2008/08/post_b044.html Link

― posted by 大岩稔幸 at 09:33 pm

モンスター

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 近年、世の中には妖怪(モンスター)が跋扈(ばっこ)している。なかでも、学校と病院での現象が著しいという。いわくモンスターペアレント(親)、いわくモンスターペーシェント(患者)、どちらもMPということになる。

 モンスターペーシェントの場合、治療費の不払いは序の口、入院患者が医師や看護師を殴ったり、甚だしきに至っては、刃物を振り回したりする。ある統計によると、患者に接する際に、何らかの意味で不安を抱いている医療者は60%を超える。自分の生命を預ける医療者に、どうして、そのような敵意や害意を抱き、表すことができるのだろうか。

 これも統計から推定されることだが、そうした行為のなかには、もともとゆすりなどを目的にした暴力団絡みのもの、いわばプロによるものも、確かにある。しかし、言うまでもないが、それはむしろ少数と言える。

 興味深いことに、学校と病院には、一つの共通点がある。学校、つまり教育の現場も、病院、つまり医療の現場も、どちらも、本来ある種の権威の勾配(こうばい)があって初めて成り立つ空間である。教える立場と学ぶ立場、医療を与える立場と受ける立場、そこにはたとえ仮構のものではあっても、専門性を背景にした権威に基づく上下関係があって当然なのである。

 しかし、現代社会にあっては、そうした勾配は、非民主的という名の下に、極力否定される方向で進んできた。

 ▽専門性の軽視

 「友達のような」教師がもてはやされ、医師のパターナリズム(保護者的な姿勢)も常に糾弾されてきた。そのこと自体のなかに含まれる重要なポイントを、否定するつもりはない。しかし、教師や医師の「専門性としての権威」をないがしろにした結果が、モンスターの登場である、という点は、見逃すことができない。

 医療の場合には、このような外側からの要素に加えて、内側にも、専門性の軽視につながる現象が起こっている。かつては、永年の経験を積んだ「名医」でなければ、つかなかったような診断が、検査技術の進歩によって、医師とは名ばかりの国家試験を終えたての若い医者でも、より正確に下せるようになった。

 一方、EBM(科学的証拠に基づいた治療)という考え方の浸透で、治療の規格化、標準化がある程度可能になった。つまり、現在では、病気にもよるが、しかるべき診断が下されれば、しかるべき治療法が、ほぼ自動的に導き出されるような形が整い始めたのである。医師の専門的な経験や知識がものを言う余地が減った、とも言える。

 ▽悪しき権威主義

 もちろん、実際には、そうしたEBMは、確率と統計に基づいて組み立てられる一方で、病気というのは極めて「個人的」、「個別的」な性格を免れ難い。従って、すべてがEBMで片付くはずはない。医療者の幅広い経験と深い知識の専門性が、決定的に必要になる場面は、決して消えてはいないのである。

 だからEBMが専門性の軽視と論理的に直結するはずはないが、それでも、医療の進歩のなかに、専門性の軽視を誘発する要素が含まれていることは、注目に値する。さらに、安易に規格通りの治療で事足れり、とする意識が医師の側に、生まれない保証もない。

 内外からのこうした圧力のなかで、「神の手」などと言われる、少数の外科の名医はともかく、医師や医療者の専門性に対する尊重と敬意が、一般社会のなかで、希薄化しつつあることは、確かなようだ。

 個人的には「ものを言う患者」の増大を、私は否定したくない。医療の世界は、これまで余りにも長い間、医師の権威のカーテンの陰に隠されてきた歴史があるからである。そして、そうした悪(あ)しき権威主義は、少なくとも医療界の一部には、厳然と残っているからである。

 しかし、患者ないしはその周辺の人々が、自分たちの生命を救い、あるいはより良く生きられるために、献身的に努力と研鑽(けんさん)を重ねている医療者に対する、敬意と尊敬の念を失ったら、それは、結局、自分たちの首を絞めていることになる、という意識だけは、患者の資格として、忘れずにおきたいと思う。(東大名誉教授)

  ×  ×  ×

※村上陽一郎氏の略歴

 36年東京生まれ。東大大学院博士課程修了。専門は科学史・科学哲学、科学技術社会学。86年から東大教授。97年に同大名誉教授。95年から08年3月まで国際基督教大教授。同4月からは客員教授。音楽の造詣も深く趣味のチェロはプロ級。著書に「安全学」「安全と安心の科学」など。




http://www.m3.com/news/news.jsp?articleLang=ja&articleId=78946 Link



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
モンスターペイシェント(Monster Patient、「モンスター患者」、「怪物患者」、「DQN患者」などとも)とは、医療従事者や医療機関に対して自己中心的で理不尽な要求果ては暴言・暴力を繰り返す患者や、その保護者等を意味する和製英語である。教育現場で教師に理不尽な要求をつきつける親を“怪物”に喩えて「モンスターペアレント」と呼ぶのと同様、医療現場でモラルに欠けた行動をとる患者をこのように呼ぶようになっている。

― posted by 大岩稔幸 at 11:57 pm

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