日本人のDNA
未来を信じて
日本には強くなってほしい。このところ切実にそう思う。もちろん軍事力のことではない。核兵器などという使えもしない装備で国を守ろうとするのは北朝鮮レベルの弱い国だ。
核兵器以上に「侵しがたい」と思わせるもので防衛されなくてはならない。強い国とは、外に向かって打って出る力のことではなく、この「侵しがたい」何かによって守られている国のことだ。
外側から「侵しがたい」と思わせるものは、自国民によってまず、日本の、日本人のアイデンティティーとして、意識されなくてはならない。
戦後の日本には、とりあえず経済力があった。エコノミックアニマルなどと嫌悪されても、お金を持っていることは強かった。けれど中国の台頭により、このアドバンテージは失われた。
私は失われたとは思っていないけれど、そう考える日本人は多いと思う。経済力を一国の数値で比較すれば、国内総生産(GDP)で中国に追い抜かれ、今後も回復は難しいだろうが、経済力が何のために必要かと言えば、個人の生活を豊かに平安に保つためだ。
GDPを一人アタマに換算して中国に追い抜かれたときは、負けを認めなくてはならないが、国家単位でしか経済力を見ることができない人にとっては、日本はすでに追い抜かれてしまったのだろう。
人口が十倍の国には、優れた人間も劣った人間も十倍いる、という自明のことを忘れ、怯(おび)えたり驕(おご)ったりするのは愚かなことに思える。
いっときも早く日本人は、新たなアイデンティティーを持たなくてはならないが、そのためには、もっと地に落ちる必要があるのかも知れない。持てるものをすべて失ったとき初めて、自分たち日本人の身に備わったDNAが自覚される、ということに期待したくなる。
日本人は、歴史的な権力の委譲である明治維新において、江戸城を無血開城した国民である。二つの原爆を落とされ、無条件降伏をしたあとのアメリカによる占領に、憤怒を隠して服従したかといえば、「過ちは繰り返しませぬから」と主語の無い反省の言葉を原爆慰霊碑に刻み、アメリカへの報復を考えなかったどころか、魅了されていった。
アメリカの占領政策がうまかったとはいえ、これが中国や韓国であったなら、恨みは世代を超えて末代まで継承されたに違いない。表面的に屈することで、内なる炎は身を焼いただろう。
この日本人の淡泊さを「忘れやすい平和ボケ」だとネガティヴに考えることには私は反対である。ことが決着したあとはすべてを水に流す、実はこれこそ、日本の自然が育んだ誇るべきDNAではないのか。だから戦後の繁栄があったのではなかろうか。
中国五千年の権力闘争の歴史からくる自国民への不信感や、「恨(はん)」を抱えたまま南北がいまだ戦争状態にある朝鮮半島の現状を思うとき、日本人の本質が逆に浮かび上がってくる。
戦争中に日本は大陸および半島の人々に酷いことをした。それは原爆二つより過酷だったのかも知れないが、日本人は恨みを捨て、中国韓国は捨てずに燃やし続けている。そこには、敗戦国という理由だけでは説明できない何かがある。
この違いがどこから来るのかを深く考えていくことで、経済力を失ったあとの日本人のアイデンティティーが生まれてくるのではないだろうか。
2013.01.01
高知新聞朝刊
作家・高樹のぶこ(たかぎ・のぶこ)
46年山口県生まれ。東京女子短大卒。
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