経世済民

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経世済民
「経世済民(けいせいさいみん)」の語源は中国の古典。正確には古い漢字で「經世濟民」と書き、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」が本来の含意です。

つまり治世全般、いわば政治そのものを指すのが「経世済民」の含意であり、英語の「economy」の訳として使われる現代の「経済」とは本来異なるものです。

東晋(4世紀)時代の思想家である葛洪(かつこう)の著作に「經世濟俗」という言葉が登場し、「經世濟民」とほぼ同じ意味で使われていました。

隋(6世紀末から7世紀初頭)代の思想家である王通(おうとう)の著作には「皆有經濟之道、謂經世濟民」と記され、「經濟」が「經世濟民」の略語として用いられています。

以後、近代に至るまで、中国における「経世済民」「経済」の含意は、治世そのもの、政治そのもの。清朝末期(19世紀)の科挙(かきょ、言わば国家公務員試験)の「経済特科」という科目においても、「経済」は本来の意味で使われています。

中国の古典を学んだ日本の思想家や学者、政治家も、江戸時代末期まで本来の意味で「経済」を理解していたようです。

18世紀前半の日本の思想家である太宰春台(しゅんだい)の著作「経済録」(日本で初めて「経済」という単語が著作名に登場した書籍)には、「凡(およそ) 天下國家を治むるを經濟と云、世を經め民を濟ふ義なり」と記されている。

まさしく、「経済」を「治世」と定義しています。 一方、19世紀前半の思想家である正司考祺(こうぎ)の「経済問答秘録」には「今 世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」という一文が登場。

「経済」は「貨殖興利」という捉えられ方が浸透しつつあったことを逆説的に裏付けています。 幕末期になると英国から古典派経済学の文献が流入。「経済」の訳語を巡って興 味深い事実が確認できます。

日本で最初に公式に英語を学び、「英和対訳袖珍辞書」を編纂した堀達之助(幕府通訳詞)、日本で最初の西洋経済学の基本書である「経済小学」を刊行した神田孝平(たかひら)、幕末に「西洋事情」を出版した福沢諭吉、いずれも「経済」 を「Political Economy」と紐づけています。

つまり、この時期までは「経世済民」と「貨殖興利」が混在しつつも、博学な学者や思想家は「経済」の本来の意味を理解していたと言えるようです。

しかし、明治維新に伴う近代化、殖産興業ブームの過程で、「経済」は徐々に「貨殖興利」の方に重きが置かれ、やがて「Economy」の訳語が「経済」となり、その訳語が清朝(中国)にも逆流。とうとう中国古典の「経済」の含意は、中国でも歪曲したと言われています。

「経済」大国、「経済」立国の日本。「経済」の含意、本来の意味について、深く考え、政策課題に向き合うことが必要です。

貨殖興利
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)やアベノミクスを巡って経済論争が喧(かまびす)しい日本。その経済論争の「経済」は如何なる含意で使われているでしょ うか。

3月15日、安倍首相はTPP交渉参加を表明し、担当大臣がTPPに参加した場 合の「経済」への影響試算を公表。この場合の「経済」は「国内総生産(GDP)」 のことを指しています。

試算はTPPに参加する場合と参加しない場合を比較し、10年後のGDPの差額を計算 したもの。「例外」分野の予想はできないため、TPP参加11か国との間で「聖域なき関税撤廃」が行われた場合の仮定計算です。

試算によれば、日本の年間GDPは実質3.2兆円(0.66%)増加する一方、国内農林水産生産額が3兆円減少。 計算方法の詳細や前提条件がよくわからないため、試算の信憑性、正確性、信頼度も現時点では何とも言えません。しっかりと検証しなくてはなりません。

今後の交渉で「例外」分野がどうなるのか、関税撤廃や税率調整のプロセス、サービス自由化や知的財産権の取り扱いなど、不確定要素が多すぎるため、この試算によってTPP参加の是非を判断することは難しいでしょう。

それにしても国内農林水産生産額が3兆円減るというのは気になります。日本が輸入する農産物等には高い関税(例えば牛肉は38.5%)がかかっており、それが撤廃されれば外国産農産物等の輸入が増加。それにつれて国内生産額が減少するという構図です。

外国産の安い農産物や加工食品が輸入されれば、食費軽減を通じて家計に恩恵が及びます。しかし、米、牛肉、小麦などを「例外」分野とすることが政治的争点となっており、「例外」が多くなればなるほど家計の恩恵は減少します。

食品安全基準が緩むリスクが指摘されているほか、食料自給率という食料安全保障の観点からは問題があります。

賛成派、反対派双方が持論を展開していますが、それぞれに真実と誇張と仮定が含まれています。個人的には、そうした論争の真贋よりも過去半世紀の日本農政の構造問題に関心があります。

日本の農業はなぜ競争力が低いのか、競争力を高める農政をなぜ行ってこなかったのか、そして行おうとしないのか。そのことが日本の農政問題の本質です。競争力の源泉がコストであると考えれば、日本農業の高コスト体質の原因とも言っていいでしょう。

例えば肥料。そこに典型的矛盾と問題の本質が垣間見えます。高い肥料を使わせる農協、それを供給する経団連傘下企業。農協はTPP反対、経団連はTPP賛成。

この構図には「農家」や「農業生産者」は登場しません。「農家」や「農業生産者」の高コスト体質を誘発しているのはTPP反対派の農協とTPP賛成派の経団連。 関係者は問題の本質を理解しているはずです。

TPP参加は、こうした構図の中に置かれている「農家」や「農業生産者」にどのような変化をもたらすのか、食費以外の要素を含む総合的な家計の恩恵はどのようなものなのか。

「経世済民」の本来の趣旨に照らせば、これらの点を明確にすることが求められます。日本の農政の積年に亘る問題を放置したままのTPPであれば、その「経済」 連携は、「経世済民」ではなく、所詮、賛成派と反対派の「貨殖興利」にとどまります。

中銀プット
マーケット関係者の間で「バーナンキプット」という単語が飛び交っています。 新語・造語好きのマーケット。一般の人にはわかりにくい世界です。

「プット」はプット・オプションの「プット」。金融派生商品(デリバティブ) のひとつであるプット・オプション(一定価格で売る権利)は、証券(株や債券) や為替の値下がりに備えたリスクヘッジ手段です。

「バーナンキ」は米国の中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)議長の「バーナンキ」。「バーナンキ議長を売る権利」とは妙な造語ですが、意味は違います。

大胆な金融緩和を断続的に行い、株価を下支えする発言を繰り返しているバーナンキ議長。つまり、バーナンキ議長自身がリスクヘッジ手段と言えるような状況 となっていることを比喩して「バーナンキプット」と言っています。

欧州でも大胆な金融緩和が継続。日本でも緩和派の新日銀総裁が来週20日に就任。 日米欧はQE(Quantitative Easing、量的緩和)レースの渦中にあります。

「バーナンキプット」ならぬ「ドラギ(欧州中央銀行<ECB>総裁)プット」という言葉も使われていますので、早晩「黒田プット」という造語も出てくるでしょう。

要するに「中銀(中央銀行)プット」。中央銀行の金融緩和、あるいは中央銀行 そのものがリスクヘッジ手段になっているということです。

しかし、米国ではジャンク債市場やLBO(買収相手の資産を担保にした借入れによる企業買収)ファンドに大量の資金が流入。2006年当時の住宅バブル時と同様に、 FRBが信用バブル(行き過ぎた金融緩和)に気づいていないと指摘する向きもあります。

翻って日本。この局面、金融緩和は続ける必要があります。株高も円安も歓迎すべき状況。但し、円安はあまり行き過ぎると、原燃材料の輸入コスト増加が企業や家計にマイナスの影響も与えます。

政策には必ず長所(メリット)と短所(デ メリット)があり、それを冷静に認識し、バランスさせることが必要です。

株高も円安も、1990年代から続くデフレと景気低迷の脱却策としての金融緩和の副産物。本来の「目的」はデフレ脱却と景気浮揚。政策には必ず「目的」と「手段」があり、それを混同してはいけません。「中銀プット」はあくまで「手段」。

「目的」はデフレ脱却と景気浮揚ですが、本質的な「目的」は「経世済民」。金融緩和の副産物としての株高と円安が「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」 ことにどのようにつながるかがポイントです。

家計や将来世代に恩恵が及び、財政赤字の削減(将来世代の負担軽減)や産業イノベーション推進、硬直化した既得権益の改革等にどのようにつながるのか。積年の日本の問題解決にどうつながるのか。それこそが重要です。

しかし、マーケット関係者にとっては価格下支えが「目的」で「中銀プット」は 「手段」。マーケット関係者の主眼は「貨殖興利」であって、第一義的には「経世済民」ではありません。

人為的な「中銀プット」に副作用はつきもの。異例の金融緩和の本質は時間的余裕を確保する時間軸政策。確保した時間で手を打つべきことは、積年の日本の問 題解決策。

金融緩和が終わっても成長できる日本を構築することです。 「中銀プット」が単なる「貨殖興利」に終わらないように国会で十分に議論してほしい。

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― posted by 大岩稔幸 at 12:15 am

PM 2.5

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 〈東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ〉 
心ならずも京から西方の太宰府に左遷された菅原道真は、移送の時、無念と惜別の情を自邸の梅花に託した。
そして今。
西風吹かば…が日本の憂いを募らせる。

西風に乗って中国大陸から飛来する微小粒子状の「PM2・5」。
車の排ガスや工場のばい煙などに含まれる有害物質で、吸い込むと肺の奥まで入り込む恐れがある。
肺がん、ぜんそくなどの発症リスクを考えると、まさに招かれざる客だ。

この客、追い払うことはできない。健康への影響を避けるには住民の対応も大事、として環境省が指針をまとめた。
大気中のPM2・5の濃度が一定レベルを超えると予測される日は、都道府県が住民に外出自粛、屋内の換気抑制などを呼び掛けるという。

日本の高度成長期には光化学スモッグが社会問題になった。
児童生徒が校庭でバタバタと倒れる。登校する顔にはマスク。
そんな公害の時代に連れ戻されそうな感覚にもなる。

3月5日は啓蟄。いつもなら桜の開花予想に心躍る季節なのに、ことしは黄砂、それに付着するPM2・5の飛来を気にしなくてはならない。
〈西風に気を緩めなよ桜花匂いなしとて粒を忘るな〉 
こんな戯れ歌が浮かんでくるようでは、花見気分はどうなることか。

「草萌(も)えや野も萌え桃の八重も咲く」。
弥生3月はやはりこの回文のように春風駘蕩(たいとう)でないと…。

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小社会
2013年03月01日08時18分

― posted by 大岩稔幸 at 08:58 pm

ウォッチ・ドッグ

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昨年末に新政権が誕生しました。
山崎さんの言葉に「政府は期待するものではなく監視するもの」というのがありました。
新政権に関して、とくに、どういったところを監視していけばいいのでしょうか。

期待せずに監視する対象は、政治というよりも政府でしょうね。その意味で、まず大切にしなければならないのは憲法です。これは、現在の日本国憲法を墨守せよという意味です。このことが今年の課題です。

一般論として、憲法というのは、そもそも政府を監視するための法律であることを国民が今一度理解しておく必要があるということです。

憲法は、 国家権力が個人の自由に介入しないことを目的として定められたものです。

では、その憲法の精神に則り、誰がどのように政府を監視していくのかといえば、やはりマスメディアの役割が大きいと思います。

私達は日々の生活に忙しくて、政府を継続的に監視することはできません。果たして、日本のマスメディアは、ウォッチ・ ドッグとして機能しているのでしょうか。それは、どうもそうではないようです。

2012年の出版界の一つの特徴はメディア批判本であったように思います。

まず、1月17日に元日本経済新聞記者の牧野洋氏の「官報複合体 権力と一体化する新聞の大罪」(講談社)が出版されました。

2月25日には、元共同通信記者の青木理氏、「ビデオニュース・ドットコム」を主宰されている神保哲生氏、そして元北海道新聞記者の高田昌幸氏の共著として「メディアの罠 権力に加担する新聞・テレビの深層」(産学社)が出版されました。

さらに、7月4日にはニューヨーク・タイムズの 東京支局長、マーティン・ファクラー氏の「「本当のこと」を伝えない日本の新聞」 (双葉新書)が出ました。

つい最近も、12月3日に前述の牧野氏と衆議院議員の河野太郎氏の共著として「共謀者たち 政治家と新聞記者を繋ぐ暗黒回廊」(講談社)が 出版されました。

こうした本のサブタイトルをみれば、本の執筆動機は明らかでしょう。本来は、権力の監視役としての役割を期待されているマスメディアに対する強い危機感です。こうしたメディア批判本が2012年に集中したことには理由があると思います。

それは、東日本大震災、特に原発事故の報道により、執筆者達の危機感が閾値を超えたということでしょう。これは、発言せざるを得ないと。

ところで、こうした本はどの程度の読者に読まれているのでしょうか。Amazonのランキングをみると、「官報複合体」は102476位(12月18日現在)です。この本は、たいへんな力作であると思ったのですが、売れ行きはあまり芳しくないようです。

「メディアの罠」は、75404位(同)です。これも非常に勉強になる本でしたが、あまり 本屋で見かけることはありません。この両著の書名と著者の名前で記事検索をかけましたが、主要日刊紙では一度も紹介されておりません。
メディア批判本の宿命といえば宿命でしょうが、マスメディアで紹介されないのです。

結局、こうした問題意識が 広く国民に共有されることはありません。

本の内容を、この欄で紹介するときりがないので、興味のある方はお読みください。 こうした問題意識を共有することからも、政府の監視が始まるのではないかと思います。

                 


ウォッチドッグ
別名:ウォッチドッグタイマー
【英】watchdog
ウォッチドッグとは、システムが正常に動作しているかどうかを監視するためのデバイスの総称である。
ウォッチドッグは、システム上で動作しているそれぞれのアプリケーションに定期的に信号を送らせている。一定周期を経過してウォッチドッグに信号を送らなかったアプリケーションがあれば、そのアプリケーションがハングアップなどの異常状態に陥っていると判断し、CPUに割り込みをかけてアプリケーションを停止したり再起動したりする。
また、インターネット上のウェブサイトを監視するツールのことをウォッチドッグと呼ぶこともある。この場合のウォッチドックでは、定期的に監視先のウェブサイトをアクセスしたり、そのレポートをオンラインで閲覧することができるようにしたりしている。

― posted by 大岩稔幸 at 09:11 pm

謹賀新年 

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屋久島 神代杉

日本人のDNA  
未来を信じて   


 日本には強くなってほしい。このところ切実にそう思う。もちろん軍事力のことではない。核兵器などという使えもしない装備で国を守ろうとするのは北朝鮮レベルの弱い国だ。

 核兵器以上に「侵しがたい」と思わせるもので防衛されなくてはならない。強い国とは、外に向かって打って出る力のことではなく、この「侵しがたい」何かによって守られている国のことだ。

 外側から「侵しがたい」と思わせるものは、自国民によってまず、日本の、日本人のアイデンティティーとして、意識されなくてはならない。

 戦後の日本には、とりあえず経済力があった。エコノミックアニマルなどと嫌悪されても、お金を持っていることは強かった。けれど中国の台頭により、このアドバンテージは失われた。

 私は失われたとは思っていないけれど、そう考える日本人は多いと思う。経済力を一国の数値で比較すれば、国内総生産(GDP)で中国に追い抜かれ、今後も回復は難しいだろうが、経済力が何のために必要かと言えば、個人の生活を豊かに平安に保つためだ。

 GDPを一人アタマに換算して中国に追い抜かれたときは、負けを認めなくてはならないが、国家単位でしか経済力を見ることができない人にとっては、日本はすでに追い抜かれてしまったのだろう。

 人口が十倍の国には、優れた人間も劣った人間も十倍いる、という自明のことを忘れ、怯(おび)えたり驕(おご)ったりするのは愚かなことに思える。

 いっときも早く日本人は、新たなアイデンティティーを持たなくてはならないが、そのためには、もっと地に落ちる必要があるのかも知れない。持てるものをすべて失ったとき初めて、自分たち日本人の身に備わったDNAが自覚される、ということに期待したくなる。

 日本人は、歴史的な権力の委譲である明治維新において、江戸城を無血開城した国民である。二つの原爆を落とされ、無条件降伏をしたあとのアメリカによる占領に、憤怒を隠して服従したかといえば、「過ちは繰り返しませぬから」と主語の無い反省の言葉を原爆慰霊碑に刻み、アメリカへの報復を考えなかったどころか、魅了されていった。

 アメリカの占領政策がうまかったとはいえ、これが中国や韓国であったなら、恨みは世代を超えて末代まで継承されたに違いない。表面的に屈することで、内なる炎は身を焼いただろう。

 この日本人の淡泊さを「忘れやすい平和ボケ」だとネガティヴに考えることには私は反対である。ことが決着したあとはすべてを水に流す、実はこれこそ、日本の自然が育んだ誇るべきDNAではないのか。だから戦後の繁栄があったのではなかろうか。

 中国五千年の権力闘争の歴史からくる自国民への不信感や、「恨(はん)」を抱えたまま南北がいまだ戦争状態にある朝鮮半島の現状を思うとき、日本人の本質が逆に浮かび上がってくる。

 戦争中に日本は大陸および半島の人々に酷いことをした。それは原爆二つより過酷だったのかも知れないが、日本人は恨みを捨て、中国韓国は捨てずに燃やし続けている。そこには、敗戦国という理由だけでは説明できない何かがある。

 この違いがどこから来るのかを深く考えていくことで、経済力を失ったあとの日本人のアイデンティティーが生まれてくるのではないだろうか。


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ダイアモンド富士























2013.01.01
高知新聞朝刊
作家・高樹のぶこ(たかぎ・のぶこ)
46年山口県生まれ。東京女子短大卒。

― posted by 大岩稔幸 at 06:53 pm

米国の銃規制論議 


 2012.12.16コネチカット州ニュータウン町で起きた、小学校での児童虐殺事件から一週間が経った21日の金曜日、事件が発生した午前9時半には全国で一斉に黙祷が捧げられました。

ケーブルニュースTVの各局は、これを大きく取り上げ改めて悲痛なムードでの報道となりました。この一週間、最初は事件の詳細に関する報道が続き、やがて亡くなった児童や教師の葬儀が大きく取り上げられる中で、明らかにアメリカは喪に服していました。長い一週間でした。

 銃規制論議ですが、就任以来、この問題に関しては「封印」していた印象のあるオバマ政権も、さすがに今回という今回は動き出しました。オバマ大統領は慎重な言い方ではありますが、銃規制に関する法律の制定を目指すという意志を明らかにし、20日の木曜日には、正式にバイデン副大統領を責任者として、来年1月をメドに具体 的な法案策定を行うことになっています。

議会でも、民主党のダイアン・ファインス タイン上院議員(カリフォルニア選出)が自動小銃と多弾マガジンの販売禁止を提案しています。

 また、今回は自殺した狙撃犯がある種の発達障害であったという可能性があるということから、広義の精神疾患や障害に関して「もっと簡単に治療やカウンセリングが 受けられるように」という方向での制度見直しが模索されるべき、そのような声も上がっています。

 それはともかく、では今回という今回は懸案であった銃規制が実現するのでしょう か?

 全米の関心は、銃保有者の圧力団体である「NRA(全米ライフル協会)」の動向に注がれました。事件直後から、NRAのSNSアカウントは銃規制推進派によって 「炎上」状態になっていましたが、NRAは沈黙を守り続けました。

そんな中、オバマ大統領が「先に動く」形となり、全米での世論調査では60%近い人が何らかの規制強化に賛成というデータも出るなど、規制へ向けての「空気」が醸成されたように 思われたのです。

 こうしたムードを受けて、NRAは18日の火曜日に短い声明を出し「子どもたちの安全を守るためには、あらゆる協力を惜しまない」と述べ、詳しくは金曜日に会長が会見するという予告をしたのです。

これと前後して、共和党系の政治家などから 「今回は銃規制に賛成する」というコメントが出たりしていました。

例えば、マサチ ューセッツ州の上院議員で、先月の総選挙で敗北したスコット・ブラウン議員(共和) は、ジョン・ケリー議員が国務長官に転出した場合の補選出馬に意欲を見せています が、自分は「自動小銃規制に賛成」という立場を明らかにしています。

そうした「空気」が全米に広がったこともあって、多くのメディアからは「NRAもソフト路線に なって、アサルトライフル(自動小銃)規制などには乗ってくるのでは」という観測 も出ていました。

 ですが、その21日の会見は、そうした希望を打ち砕くものでした。私自身も、自分の見方が甘かったことを痛感させられましたし、オバマ大統領がこの4年近くの間、 銃規制に慎重だったのは「何故か」ということも痛いほど納得させられたのです。

 もっと以前の、例えば93年から94年にかけて、当時のクリントン政権が自動小銃規制を成立させましたが、その政治的プロセスも難航を極めたことなど、アメリカ が改めて「銃社会」であること、その中核にあるNRAは「銃保有の権利死守」のために存在していることを改めて思い知らされたのです。

 とにかく、NRAはソフト路線に転じるどころか、居直ってきたのです。

 その内容は、想像を絶するものでした。NRAは銃規制に同調するどころか、今回の惨事を契機として居直りとしか言いようのない提案を出してきたのです。

それは、「子供の安全が最優先」だという理由で「全国のあらゆる学校に武装した警備員を配置する」というものでした。

 ラピエール氏の発言は、最初から最後まで極めて強硬かつ挑発的でした。
以下、特徴的な部分を紹介するとこんな感じです。
「悪人による銃の乱用を防止する唯一の解決策は、善人が銃で武装することだ」
「模倣犯の候補が全米にあふれている。子供を守るためには直ちに学校を守るべきだ」
「アメリカには悪人と異常な人物があふれている危険な社会だ」
「大統領は武装SPで守られている。アメリカという国は武装した軍隊が守っている。 大切な子供たちの通う学校が武装して守られていないのはおかしい」
「教育現場をガン・フリー・ゾーン(銃のない空間)にした政治的誤りのために子供 たちは死んだ」
「何かが起きても武装警官が何マイルも先にいて、駆けつけるのに何分もかかるのでは子供たちを守ることはできない」

 こうした論理に加えて、「精神病歴のある人間に関しては、全国的なデーベースで管理すべき」であるとか「問題は銃ではなく暴力的なビデオゲームなどにある」などという主張を繰り返していたのです。

 会見は「一切の質問には答えない」という条件で行われ、とにかくNRAサイドが一方的な主張を繰り返しただけでした。尚、途中に二回ほど「反対派」が大きな横断幕を掲げて抗議をする局面がありましたが、CNNの画面ではその横断幕(「子供を殺したのはNRA」というようなもの)をしっかり写して放映していましたし、反対派のシュプレヒコール(「NRAよ恥を知れ」とか「自動小銃の即時規制を」)といったものも、しっかり放映していました。

 ですが、NRAサイドは「能面のように」こうした反対行動は無視して、一切のコメントはしなかったのです。ラピエール氏のスピーチの中で特に私が驚いた箇所が二 箇所あります。

一つは、この「ビデオゲームが悪い」という部分で、実際にネットに出回っている簡単なゲームを紹介した部分です。実際に記者会見場にはモニターが用意されており、ネットからダウンロードされたゲームの画面が紹介されたのです。

 そのゲームは「幼稚園児をぶっ殺せ」というタイトルのもので、学校の校舎から顔を出している幼児を一人一人射殺するという内容で、命中の瞬間には血が飛び散るような作りでした。とにかく、コネチカットの惨劇から一週間、追悼のために全国で黙 祷がされた90分後にこのような映像を平気で紹介できる神経が分かりません。

 もう一つは、そのコネチカットの事件を紹介した部分です。今回の犠牲者は26人で20人が児童、6人が教師ということはアメリカでは誰でも知っている事実と思っていたのですが、このラピエール氏は「子供26人」という言い方をしていました。 要するに、この事件の悲惨さを真剣に考えながらニュースを見て来なかったということを白状したようなものです。

 もっとも、スピーチの中では「武装していない教師が犠牲になったのは犬死」というニュアンスにも取れる発言をしていましたから、亡くなった先生への同情も薄いのでしょう。

「リベラルのイデオロギーの毒された教員が、学校に銃を入れないことが間違い」という主張もしていました。

 さて、この会見へのリアクションですが、前の共和党全国委員長のマイケル・スチ ール氏がMSNBCで「これは極端に過ぎる」とコメント、リベラルな主張が基本の同局とCNNでは批判的なコメントが流れていました。

ですが、少し経つとCNNの サイトでは扱いが小さくなっています。また保守系のFOXニュースでは論評を避けてサッサと別の話題に逃げていました。

 NRAはやはり「本性を現した」のです。それは、同時に今後の銃規制論議が苦しい国論分裂というプロセスを避けては通れないということも示していると思います。 2012.12.21金曜日には、「財政の崖」をめぐる論議が暗礁に乗り上げたこともあって、何とも重苦しい暗い雰囲気が全米を覆いました。

新しい年は前途多難なスタートになりそうです。


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― posted by 大岩稔幸 at 10:20 pm

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