2012/11/20
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紅葉と四季桜
孔子はその父親と正夫人との間の子どもではなかった。司馬遷(しばせん)は史記に「野合して孔子を生んだ」と書いている。辞書によれば野合とは、男女が正式な婚姻によらず結ばれること。
それは聖人の伝記にふさわしくない。そう考えた後世の儒者たちは、女性が天に祈って身ごもったとする説などを主張してきたという。いずれも中国史学者の故貝塚茂樹さんの「孔子」(岩波新書)に教わった。
まるで聖母マリアの処女懐胎を思わせる伝説である。そこまでしなくても孔子の偉業は揺るぎはしないのにと思うのだが。要はそれだけ孔子への敬愛の念が深かったということだろう。
野合の印象を拭い去ろうと懸命なのはこちらも同じ。師走の衆院選に向けて、既成政党に対抗する第三極を結集しようと日本維新の会に太陽の党が合流した。だが、脱原発や消費税など基本政策の違いを棚上げしての大同団結ではないか。そんな疑問はなお残る。
日本維新の新代表、石原前東京都知事は「増税容認」の主張と相いれない減税日本との合流方針もいったん発表した。一転ほごにしたのは「減税日本というネーミングが粗雑」だから。名前を変えれば済む問題ではあるまいに。
〈君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず〉。孔子の言葉通り理想の人間は見識を持ち、利害によって離合集散したりしない。君子か小人か。見極める眼力が求められるのも孔子の時代と変わらない。
乾山写しの雲錦文様( 春と秋、両方の季節に使える抹茶茶碗)
高知新聞
小社会 2012年11月19日より転載
― posted by 大岩稔幸 at 01:11 am
2012/7/26
カテゴリー » 時評
7月11日に、小沢新党が発足しました。党名は「国民の生活が第一」。「今の民主党は政権交代当時の民主党ではなくなった。政権交代の原点に立ち返った政策を国民に示す」という意気込みがこの党名になったようです。今の民主党が、政権交代当時の民主党でないのは、その通りでしょう。
私は、2010年6月の菅政権の頃から、民主党は「変わった」と思います。沖縄の基地問題で迷走したこともさることながら、ギリシャ危機が最大のきっかけでした。「ギリシャは対岸の火事ではない」という大合唱を背に、財政再建が改めてクローズアップされました。 民主党代表選への出馬会見(2010年6月3日)で菅副総理・財務相(当時)は、 小沢氏について「しばらくは静かにしていただいたほうが本人にとっても、民主党にとっても、日本の政治にとってもいい」と言ったものです。
今回の消費増税法案は、民・自・公の三党合意という超党派の議員の賛成を受け成立しました。一方、小沢氏は「静かに」するどころか、消費増税関連法案に反対したことから民主党を除籍されました。
超党派というのは、ある意味で民主主義の否定です。菅政権から野田政権へ移行したものの、民主党は分裂してしまい、野田政権は自民党野田派と揶揄されています。
君子豹変、小人面革(易経 沢火革の上六)と言われます。現在では本来の意味から離れて、トップやリーダーが気まぐれに自分の主義や主張をコロコロと変えることを言うようです。それはさておき、時代は確かに変革の時にきています。生き様を各自がそれぞれに考えねばならない時にきています。
― posted by 大岩稔幸 at 09:37 pm
2012/4/25
カテゴリー » 時評
三春滝桜(みはるたきざくら)は、福島県田村郡三春町大字滝字桜久保(地図)に所在する、樹齢推定1000年超のベニシダレザクラ(紅枝垂桜)の巨木。国の天然記念物。三春の滝桜、また単に滝桜とも呼ばれる。
どんな国にも触れてはならない話題はある。これを禁忌と呼んだり、タブーと呼んだりする。
タブーはポリネシア語で聖なるものを意味するtabooに語源があると言われ、本来は触れてはならない聖なるものや、その裏返しの触れてはならない穢れたもののことを指すものとされている。
だから、本来タブーにはタブーたる由縁がある。しかし、日本の場合は本来の定義に当てはまるタブーは必ずしも多いわけではない。むしろ、もっと単純な、そしてやや恥ずかしい理由で、多くのタブーが生み出されているようだ。
「タブーに挑戦する」をスローガンに数々のタブーに挑戦してきた雑誌『噂の真相』の副編集長として、文字通り数々のタブーに挑戦し、実際に右翼団体の襲撃も経験した川端幹人氏は、日本のタブーには暴力、権力、経済の3つのパターンがあり、これにメディアが屈した時にタブーが生まれていると言う。
3・11以前は、原発がそんな日本的タブーの典型だった。川端氏は原発は先にあげた3つの類型の中では究極の経済的タブーだったと言う。地域独占を背景に電力会社が持つ絶大な経済力は、メディアもスポンサーも丸ごと飲み込んでいた。しかも、原発には年間1千億円を超える巨大な広告費などの絶大な経済力に加え、国策やエネルギー安全保障や核オプションといった、実態の見えない後ろ盾に支えられていると受け止められている面があり、電力会社側もメディアへの圧力にこれを最大限に利用した。結果として、原発を含む電力会社を批判することは、広告をベースに運営されるメディアにとっては、自殺行為以外の何物でもなかったと川端氏は言う。
実際、東京電力がスポンサーをしていたテレビ番組を見ると、日テレ系「ズームイン!!SUPER」、「情報ライブ ミヤネ屋」、「news every.」「真相報道バンキシャ!」、TBS系「報道特集&ニュース」、「NEWS23クロス」、「みのもんたの朝ズバッ!」、フジ系「めざましテレビ」、テレ朝系「報道ステーション」、など、その手の問題を扱う可能性のある番組に集中していることがわかるが、それもこれも、1974年以降、電気事業連合会(電事連)の中に設けられた原子力広報専門委員会で練られたメディア戦略に基づいたメディア懐柔策だった。
その他、電力会社のメディア操縦は、マスコミ関係者に投網をかけるように豪華接待攻勢をかけていたほか、マスコミ関係者の天下りの斡旋まで手を広げていたと川端氏は言う。
また、電力会社は経済力の延長で、天下りなどを通じて政界、経済産業省、検察、警察との太いパイプも持ち、これもまたメディアに対する睨みを効かせていた。
要するに原発タブーというのは、本来的な意味でのタブーでも何でもなく、単にメディア関係者が電力マネーによって根こそぎ買収され、それでも言うことを聞かないメディアには、訴訟を含めた強面の圧力をも持ってして押さえ込んだ結果に他ならなかったと、川端氏は言う。
最近では経済タブーの筆頭にあげられるものが、AKB48に関連した不都合な情報だと言う川端氏は、こうした経済タブーの他にも、ある種の伝統的なタブーに近いと思われているタブーも、その実態はもう少し残念な状態にあるとして、自らを含めたメディアの姿勢を批判する。例えば、皇室や天皇制に関するテーマは多くの場合タブーとして扱われる場合が多い。
これは一見、タブーの定義である「触れてはならない聖なるもの」かと思われがちだが、さにあらずと川端氏はこれも一蹴する。日本でメディアが皇室や天皇制を批判することを控える理由は、右翼の街宣攻撃や実際に危害を加えられることを恐れた結果であって、現にメディア上では皇室をタブーとして扱っているメディア関係者の多くが、私的な場や打ち合わせの場では、平然と天皇制を批判したり、皇族を馬鹿にしたような台詞をはいていると、川端氏は指摘する。
実際、歴史的な経緯を見ても、戦後GHQの占領下では右翼の圧力を気にする必要がなかったために、皇室を揶揄したり批判する本や論説が多く登場した。しかし、1961年に雑誌『中央公論』が掲載した小説を理由に同社の社長宅が右翼青年に襲われ、お手伝いの女性が刺殺される「風流夢譚事件」などをきっかけに、皇族や天皇制を批判したり揶揄したりしたメディアに対する右翼の攻撃が日常化したために、皇室ネタはメディア上ではタブーとして扱われるようになったと川端氏は言う。
右翼に襲われて怪我をして以来、自分の筆が鈍っていることを感じ、結果的に噂の真相の継続を断念するに至ったという川端氏と、本来はタブーでも何でもないテーマが、広告圧力や暴力による脅威によって封殺されている日本のタブーの現状を議論した。
プロフィール
川端 幹人
かわばた みきと
(ジャーナリスト・『噂の真相』元副編集長)
1959年和歌山県生まれ。82年中央大学法学部卒。
83年雑誌『噂の真相』編集部、85年同誌副編集長、
2004年、同誌休刊にともないフリーに。
著書に『タブーの正体』、共著に『Rの総括』『事件の真相!』など。
― posted by 大岩稔幸 at 10:59 pm
2012/4/16
カテゴリー » エッセー
― posted by 大岩稔幸 at 10:34 pm
2012/1/6
カテゴリー » 医 学
― posted by 大岩稔幸 at 01:03 pm
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